浅川と私の原体験

私がなぜ都市政策、特に多摩・八王子のまちづくりというものを考えるようになったのか、その原体験とでもいうべきものについて記したいと思います。

私は八王子の大和田というところで生まれ育ちました。小学校5年生まで、浅川にかかっている甲州街道の大和田橋という橋の下で、泳いだり遊んだりしていました。その頃の浅川は水量も多く水もきれいで、泳いでいる魚も今のようにコイだけではなく、ハヤとかウグイとかがいる豊かな生態系でした。子供の私は、浅川によって育てられたのです。

ところが、私が成人して市役所に勤務していたとき、否応なく気づかされたのは、浅川と子供たちとの関係が、私の子供時代とは全く異なってしまったということでした。浅川流域の小学校が夏休みに入る前に、「浅川というのは汚い、危ない川だ。夏休みに浅川に行って遊んじゃだめだよ」と終業式でそう言って子供たちを送り出すのです。

川から子供たちを遠ざけてしまう、遠ざけざるを得ない現状がありました。これは、河川の浄化という以前の問題です。八王子の母なる川である浅川と、子供たちをつなぎとめる何かが必要なのではないか。確かに浅川は汚いけれども、とにかく川で遊ぶ体験をしてもらう。そう考えて、浅川サバイバルレースというイベントをスタートさせました。子供からお年寄りまで、八王子市役所裏の河川敷から、日野市のふれあい橋まで、11キロのコースをカヌーや手製のいかだで何時間かかけて下るというレースです。